2012年07月09日

スズキコージさん

恩送りブログってのをすっかり忘れていました。
久しぶりにブログを更新しようと思って書き始めたのですが
通常の日記というよりは人との出会いがテーマになりそうだったので
こちらのブログに書くことにしました。

って恩送りというか人との繋がりブログになってますかね。
まぁ良いか。俺のブログだし。


さて。
タイトルにもあるスズキコージさん。
この方は浜松市浜北区出身の芸術家。
身近なところで行くと絵本とかたくさん描いています。
そのスズキコージさんと出会ったのは作品からでした。
昔、レポーターをして居たときに文芸館に展覧会の取材に行った時、
初めてその作品を見た時、衝撃を受けました。こんな絵を描く人がいるんだ!!と。
それまで絵画にほとんど興味がなく芸術家と言えば気難しい人というイメージでしたが取材中に文芸館の方にお話を伺い、その人柄についても色々と知るうちに更にコージさんの作品に惹かれていきました。

そしてそれからしばらくしてまたレポーターとして絵本カフェにお邪魔した時に
偶然、コージさんの絵本を見つけ手にしたのが「とさかにごはん」という
絵もストーリーもコージさんが書いている絵本で
これがまた衝撃的。
コージさんのインパクトある絵にコージさんの脈絡のないストーリー。
完全に私は心を奪われてしまいました。

そこから近場で「スズキコージ」と見つけると個展に行ったり
絵本を買ったりしていたわけです。
そしていつかコージさんに会いたいと思うようになりました。

それから数年が経ちコージさんが毎年母校に来て
特別授業をやっているという情報を入手しました。
これは何としてでも取材したい!!
そう思い、私は学校に連絡をし、許可を得てついにコージさんと
対面することになったのです。
その時のブログがこちらです
久しぶりに見たけどやっぱり興奮します。3年経つのに。

さて取材後も私は変わらず個展などに足を運ぶわけですが
ライブペイントのタイミングで足を運びご本人と再会。
ご挨拶をさせていただくと覚えていてくださって感動。
名刺をお渡しするとそれ以降、DMを直接送ってくれるようになり
なんだかんだで一緒にお酒を飲んだりもさせていただきました。

実は今日もコージさんからDMが届きました。
いつもコージさんのDMが届く時は少し落ち込んでいる時。
でもコージさんの手書きの宛名など見ると一気に上がるわけです。

コージさんは浜北出身ではありますが
10代の頃から地元を離れ生活しているのでなかなか会うことはありません。
もちろん頻繁にお会いできる方でもありませんが・・・

今回のDMは茨城県つくば市で開催されるライブペイントの案内と
熊本で行われる原画展のご案内でした。
ワタクシ、心は既につくばに行っております。


あれ?何かまとまりの無い内容になってしまいましたが
まーなんというか、人との出会いとかそういうのって
ホント、わかんないもんだよなーってことですよ。

皆さんもスズキコージさんの作品見たことがなかったら
浜北図書館にはデカイ絵が飾ってあるし絵本も充実してます。
一度、生でその作品にふれてみてください。
posted by 上嶋 潤。 at 17:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月28日

その人

先日の「さんざんまたせてごめんなさい」で爽やかな感動をよんだと好評をいただいた俺の作品、「その人」をここに掲載したいと思います。
これは実話をもとにした実話です。実は。心してお読みください。

=============================

その人との出会いは7年前の今頃。
ボクのやっているバンド、イキマウスの「君はラーメン」という曲がCMソングに選ばれ、TVCMが決定。地元のラジオ局にゲストとして出たのが初めての出会いらしいがボクは全く覚えていない。事務所に顔を出し、しっかり挨拶をして帰ったのが好印象だったらしい事をのちに教えてもらった。

それから半年後、その人から突然電話がかかってきた。
「新しいレポーターを探している」ということだったが、当時、サラリーマンだったので毎週金曜日、仕事を空けるなんて無理なので、その時は丁重に断った。
しかし、その話を社長にしてみると「面白そうだからやってみろ」と言われ、すぐに電話をかけ、面接をすることになった。

 ビルの地下にある事務所に行き、ボクとしては初の顔合わせ。それからすぐに面接と実技。面接はともかく、ど素人のボクが実技なんてできるハズも無く、新聞記事を読んで感想を言う、ってやつだったんだけど・・・ボロボロ・・・
 こりゃー無理だって思っていたが先方はそれにも増して新しい人を求めているらしく「じゃー来週さっそく来てね」と言われた。

 さて。ボクに付けられた名は「おじゃマンレポーター」。先代が引退するということで、二代目となったわけだが、先代の仕事ぶりを見たのは一度だけ。しかも、先代は他にも番組を持っているようなしゃべりのプロだった。
 プロからど素人のボクにバトンタッチ・・・プレッシャーはとても大きかったが、そこにその人は追い打ちをかけてきた・・・

「登場する時に歌って入ろう!30秒ぐらいの歌、作ってきて」

その人からの初めての無茶ぶり・・・そんなの作ったこと無いし、あと一週間しかないし・・・
でも本番前日の夜、それからずっと歌い続けられることになる名曲をしっかりと完成させてしまうボク・・・ここで主従関係が決まっていたのかも。

 そして初レポーター当日。2004年4月2日(金)。古着屋の女性店長に「この店の掘り出し物は店長ですね」とか、映画監督を称える記念館の館長に「監督!」を連呼したりと、もうメチャクチャ。
 そんなわけでもちろん番組終了後はダメ出し。少なくとも夏が終わる頃までは毎回、ダメ出しされ続けた。まぁそれだけ、ボクがダメだったってことなんだけどね。

 でも、ダメ出しとか、その人の発言の中で1番イヤだったのが先代のレポーターと比較すること。
「先代はもっときついことやってきた」「まだまだ甘い!」とずーっと言われていたのがイヤだった。
イヤでイヤでしょうがなかった。
プロにはかなわないし、同じことなんてできない。それに、もう辞めた人の事をいつまでも言うなよって思っていた。

・・・だからきっとあんな無茶を引き受けたのだろう・・・

それは8月最後の放送日。「何か夏の思い出を作ろう!」という提案から始まり、何故かボクが「思い出の地を走って回る」という企画になったのだ。その距離、約20キロ。浜松の人ならわかるかもしれないが新浜松駅から浜松工業高校までを往復するコース。
 ただ、走るだけじゃなくて、ちゃんとレポートもしなきゃいけないし、番組中に戻ってこなきゃいけない・・・予想以上にハードだったけど、その人に認められるには「やるしかない!」と言う想いだけで何とか成功。足を引きずりながらゴール。
ヘロヘロになったボクを「打ち上げだー!!」と言って、地ビールが美味しい天神蔵に連れて行き、さらにヘロヘロ、いや、ベロンベロンにしてくれたことが、何か大きな転機だったような気がする。

 その日からは「潤くんは20km走ってヘロヘロでベロンベロンになっちゃったから、私が担いで窓枠まで送ってってやったんだ」って話でボクをいじることはあっても、先代と比較したりすることはなくなった。

 でも、だからと言って何か楽になったわけではない。得意の無茶ブリは続き、何度も苦しめられた。
例えば移動距離。中継と中継の合間の時間では絶対に間に合わないような距離を移動させる。
また、「出された物は完食する」という掟。この掟で一番きついのがテーマ「ラーメン」の日。
一日に四回中継があったので、一軒で一杯としても四杯。それを同行ディレクターと2人で分けるから1人二杯・・・のハズなんだけど、オススメが二杯ある店や、2人で一杯じゃーなんだからってもう一杯出してくれる店もあって、結局、番組中に4,5杯のラーメンを食べるハメになったりもした。
テーマ「ラーメン」は冬の定番となり、毎年のようにやっていたが、毎年、翌日は腹を壊してトイレに立てこもるのも定番となった。

 そんなこんなで1年目が終了。ラジオ局の上層部は「上嶋続投ナシ」。1年目の評価はそんなもんでした。しかし、その人はどんな想いがあったか知らないけど「上嶋で行く」と言ってくれました。

 そんなわけで2005年4月、2年目突入。ブログスタート。
そこからしばらくは特に問題もなく・・・と思っているのは、ボクだけだと思いますが、番組表の露出や番組表での露出が増えたりしたのは、評価が安定してきた結果だと思っています。

そして月日は流れ、2007年1月30日、その人に呼ばれ、2人で酒を呑んだ時のこと。
酒を呑みに行くにしては何か深刻な雰囲気を感じつつ、とりあえずビールで乾杯。ほぼ無言のまま、2杯目。
「実は・・・」と切り出されたのは会社に対する不満、そしてボクが続けてくれるのかという不安。

 その人は、番組を続けるなら、ボクと続けたいと言ってくれた。潤くんが辞めるなら、この番組も辞めると言ってくれた。そして、「私はこの番組を私にとって最後の番組にしたい」と言ってくれた。
 つまり、「ボクが辞めるなら私も辞める」そういう気持ちでやっている、ということだった。
そして「私が辞めたら、潤くんはどうする?」って聞かれた。そこまで言われて、いや、そこまで言ってもらえて、ボクはどう答えていいか分からなかったけど、素直に「そしたらボクも辞めます」とだけ答えた。

 その人が出す答えとボクが出す答えの導く先が同じものになり、その人の不満や不安がボクの不満や不安にもなり、果たしてこのまま続くのかどうか・・・続けたい想いと不安が入り乱れ、その日はひどく酔ってしまい、1人になってから嘔吐。真冬の冷たいベンチに横たわり、タクシーを待った。

 その日から、その事にふれることはなく、3月を迎え、その年も続投が約束された。
その人はその人の、ボクはボクのやるべき事を続けた。
ボクはボクで毎週金曜日、プラス取材に出掛ける事を快く思っていない社長を何とか振り切ってきたし、きっとその人はその人で会社に対して、番組を続ける為の努力をしてくれていたのだろう。
2010年7月20日を迎えるまでは・・・

その日は、今年の夏らしく、とても暑い日だった。午後、仕事をしているとその人から電話。
今週末のラジオの打合せかなんかだと思い、電話に出る。とても軽い気持ちで出た。
しかし、その内容は「今月いっぱいで番組が打ち切りになる」ということだった。
「寝耳に水」とはまさにこの事だ。すっかり油断していた。その人もボクも、やるべきことをやってきたハズなのに・・・経済状況が厳しいという理由でボクはあっさりクビを切られた。

今月いっぱいってあと10日?あと2回しか放送ないのに?番組改編の時期でもないのに?放送事故はいつものことだけど、大きなヘマをしたわけでもないのに・・・

ただ、正直に言うと、この1年が終わったら終わりだろうと決めていた。もちろん、続けたい気持ちばかりだったけど、窓枠の社長の圧力が強くなったし、確かに、ラジオを続けることが、窓枠にとって良い事ではないと感じていた。
そして実はその人も、番組を辞めても良いような立派な理由ができたんだ、と報告してくれた。
ぶっちゃけ、そんな約束をしたかどうか覚えてないけど「潤くんには一番に言うって約束したしね」と言ってくれたことが嬉しかった。
 しかし、状況がどうであれ、打ち切りに変わりは無く、残り2回の放送をどうすることがリスナーにとって良いのか話し合った。結果、最終回のテーマは「ビール」。
最後なのにビールっていう、その「らしさ」が楽しくて、最後の日は大いに呑んだ。6年前に酔いつぶれた天神蔵でも呑んだ。エンディングでその人はちょっと涙ぐんでいたみたいだけど、そんなの「らしく」ない!ボクはその場から立ち去るようにトイレに向かった。

その日以来、連絡は少なくなったが、まだ潤くんのこと、メッセージくるよ、とか、打ち上げやろうねって連絡はくるし、ついこの前も「CM読んでほしい」って連絡が来た。本当はもう事務所には行きたくないんだけど、その人から頼まれるとやっぱり断れない。早く辞めてくれないかなぁ・・・

最後になっちゃったけど、その人の名前はすずきしずか。
ボクがレポーターをしていた6年4ヶ月、最良のパートナーだった人。
もう、鈴木じゃなくなった、その人へ・・・感謝を込めて。



2010年9月15日 
元おじゃマンレポーター 
上嶋潤。
posted by 上嶋 潤。 at 10:56| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月20日

ひつじとの出会い

長らくお待たせいたしました。
この一年、恩送り的な出会いがなかったわけではありませんがブログ更新がままならずに申し訳ないです。
もしかしたら「ぷらっ」と見に来てくれていた方もいらっしゃったのかな・・・ごめんなさい。

さて、今回はひつじとの出会いについて。
と言っても動物のひつじではなくお店「ひつじ日和」との出会いです。

浜松市役所の近くにあるこのお店とは昨年の10月に出会いました。
実はその日、すごく精神的に疲れてまして。
翌日も疲れることがほぼ決定しているような日でした。

「ちょっとコーヒーでも飲んでゆっくりしよう」

そう思って車を走らせていたのが午後9時頃。
喫茶店らしき店は閉店し、居酒屋の明かりが眩しい時間帯。
その後、まだ打ち合わせもあり、お酒ではなく珍しくコーヒーを欲していました。

そんな時、普段車でも通らない道にぽつんと明かりを見つけました。
まさに「ぽつん」という表現が似合う灯りでした。
一度通り過ぎてしまい、即Uターン。
店の前に車を停め、看板に目をやると「コーヒー」の文字が。
時間も時間だったので店のドアをあけ、店員さんに営業時間を確認。
「11時までやってますから大丈夫ですよ」とかなんとか言ってくれたのが今思えば店長の上原さん。

車をコインパークに停め、再び店内へ。
単なる喫茶店だと思っていたら店内には本がたくさん並べてあり、自由に読むことができること、そして気に入ったら買って帰れることなどを初めての客に丁寧に接してくれたのも今思えば店長の上原さん。
いや、今、思えばあの頃、店員は店長の上原さんのみでしたね。

で、すっかりお店の雰囲気と上原さんの雰囲気が気に入ってしまった僕は翌週だったかな、お店に行き、ラジオをやってることを伝え、取材の申し込みをしたんです。
やはり、快く引き受けてくれてすぐ翌日だったか、とにかくすぐに取材をさせていただいて。
それ以来、ちょくちょく寄らせていただいていますね。

今では店員さんも増え、またその店員さんも上原さん仕込みなのかすごく良い雰囲気の持ち主でして。すぐに仲良くなることができました。
今では、僕の醜態をさらせる場所としてお気に入りの店ベスト3に入っておりますね。

そして今回は色々とわがままを言わせてもらって竹原ピストルの個展をさせていただくことにもなりました。大変感謝してます。

上嶋(俺)
上原(ひつじ店長)
竹原(ピストル)

次は竹嶋さんとの出会いを・・・

って竹嶋さんって誰!!

いつか出会えたら素敵ですね・・・

posted by 上嶋 潤。 at 13:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月28日

あー!!

気がついたら1年放置してしまいました・・・
いやー申し訳ない。

きっと誰も見ていないと思うけど
一人で謝罪しておきます。ごめんなさい。

しかし!この一年、「恩送り」の精神を忘れていたわけでもないしむしろ広めていたぐらいです。

「この人ならば・・・」と思える人にこっそりその話をするんですがそうするとだいたい「良いですね、それ」とこっそり答えてくれます。

そんな人のこともアップしていこうかな。
今、お気に入りのお店の店長さんです。

なるべく早めにアップしますね。
posted by 上嶋 潤。 at 15:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月23日

黒白

ここから読み始めた人はわけがわからないと思うので・・・
↓にある「初めて手にした手段」からチェックしてくださいw


で、今日、一気に2本紹介しちゃったので
このまま3本紹介しちゃいます。


っつーわけで最後の紹介になりました。
それがJ-45の黒白であります。

ま、見た目のまんま。黒いボディに白いピックガードが印象的な
フォークと言うよりはロックなアコギ。

ま、これを買ったのは斉藤和義さんの影響のみです。いぇい。

で、↓で紹介した「おっさん」を買うときに実は候補に挙がってました。

長いこと、欲しかったんですね。
でも実際に手にしたのはそれから約3年後。


じゃなかったかな・・・記憶が曖昧ですが・・・


・・・・今、調べましたw 正解。27歳の誕生日プレゼントです。


で、実はこれ、違うギターを買いに行って買ったんです。

本当はJ-45じゃないギターを予約してまして。
それが来たからっつーので店に行ったらさ、あったのよ、「黒白」が・・・

もうね、店員の悪戯ですよ、嫌がらせ。

予約してたし申し訳ないのでそいつは買うことにしてましたが
「黒白」まで欲しくなっちゃって。

人生、最初で最後(?)の衝動買い。
2本買っちゃった〜♪


でも、2本買ったのが良くなかった・・・

予約して買ったギター、あんまり弾かないの(笑)

結局、「黒白」はバンドでのライブ用になり、今でも使ってるんだけど
予約して買ったやつは手放しました。

で、手放す時に思いました。

「あ、俺、J-45しかダメだ」って。

だからアコギはJ-45しか持ちません。
多分、買っても弾かないから。


っつーわけで当分はこの3兄弟が俺のパートナーです。


イキマウスのサンバカレーはこの「黒白」で弾くのが一番気持ち良いです。



さて、偶然の出会いで買ってしまった「黒白」
気が付けば4年前。


21歳の誕生日「相棒」
24歳の誕生日「おっさん」
27歳の誕生日「黒白」
30歳の誕生日・・・

あれ?30歳の誕生日、買ってない!!


次にJ-45を買うのはいつでしょう・・・
そしてどんなJ-45を買うのでしょう・・・

今からすごく楽しみ♪
posted by 上嶋 潤。 at 21:39| Comment(1) | TrackBack(0) | モノ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

おっさんとの出会い。

書くとき一気に書く癖があるようで・・・
今日、2度目の更新。

さてタイトルの「おっさん」とは?
誰の事でしょう・・・

いや、実はこれ、人じゃなくてモノなんです。

下にも登場したギターについてまた書きます。

CA390218-0001.JPG
さてこの「おっさん」とは写真の左のギター。
右のと写真では傷の具合が違うだけで一緒のような気がしますよね?

でも違うんですよ!!


ほら、ブリッジがストレートブリッジでしょ?

フレットが右のより一つ少ないでしょ?

わかんないかな〜?全然違うんだよねぇ〜。


なんてここでアツク語る気はありません・・・ごめんなさい・・・


で、なんで「おっさん」かと言いますと
作られた年が随分古いからなんです。
1950年頃に作られたらしいので50年から60年前のギターなんですよ。
だから「おっさん」。

この「おっさん」は24歳の誕生日に自分から自分へプレゼントしました。


そろそろ「相棒」(下のブログ参照)もガタがきていて
整備に出したいなーと思っていたのでもう一本欲しくなったわけです。

そこでちょうど誕生日も近いし・・・っつーわけで東京まで足を運びました。
御茶ノ水の楽器街をウロウロウロウロ。
だいたいアコギフロアって上にあるので足がガクガクするぐらい、
階段昇降した記憶があります・・・

行きたいお店、全てを回る前に見つけてしまったこの「おっさん」。

イメージそのままの見た目、そして音。
ネックの太さも弾きやすい。

異議なし!!

ではありましたが行きたい店全て回りたかったので
店員さんに「多分、戻ってきますけど」と言い残し他店へ。

でも、もう他のを弾く気もなく。
ザーっと流して見て「おっさん」の待つ店へ。

「やっぱ戻ってきました」

っつーわけで購入。

バランスの良いサウンドと弾きこまれたルックス。
決して綺麗じゃない状態だけど何かピックアップを付けていた跡なんかあったりして。
アメリカから運ばれてきたこの「おっさん」を弾いていた人は果たしてどんな人物だったんだろうか、
などと想いを巡らせてしまうんだなぁー。

男のロマン。素敵。


1950年頃に作られたGibsonのJ-45と言う事以外、未知なわけです。
未だにロマンを勝手に抱いてます・・・


こいつは大事過ぎて家に引きこもっています。
家で時々、引っ張り出してニヤニヤしながら弾いてます。

今日は珍しく職場に持って来て思いっきり弾いてやりました。
いや、弾かせていただきました。

やっぱりニヤニヤしてしまいます。

弾き語りの音源ではこいつをそろそろ使おうかと計画中。

「おっさん」パワーに負けないように頑張ります。
posted by 上嶋 潤。 at 20:02| Comment(0) | TrackBack(0) | モノ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

初めて手にした手段。

このブログを書き始めた段階で既に俺はある手段を手に入れていた。

そもそも、それが無ければ俺の今は無い。

このブログの中で最も重要な位置に居ながら
今のところ出番の無かった、重要なモノ。


それはギター。

このブログを書くきっかけになった、色々な人との出会い。
その全てを導いてくれたのがギターだった。

ギターが無ければ旅にも出なかった。

ギターを手にした者ならば誰もそうあるように、
ギターは自分を表現する手段だ。
うん。
俺もそうだ。

しかし、俺にはもう一つある。

俺にとってギターは旅をする手段でもあるのだ。

ギターが無ければ旅はしなかった。
旅をする事の道標になったのがギターだった。


そんなギターとの出会いについて書こうと思う。


書き始めると長くなってしまうのがこのブログの悪い所。
前置き長すぎ(笑)

CA390218-0001.JPG

さて、この写真に載っている3本のアコギ。
実は全て同じ型番。
『GibsonのJ-45』と言うギター。
型番は同じだけど年式や仕様が違うので見た目も若干違う。かな?

まずJ-45を買ったきっかけ。
これは誰もが同じだろうけど好きなアーティストが使ってたから。
それだけ。
代表選手は山崎まさよしさん。そして吉田拓郎さん。


家にあったギターで練習を重ね、いよいよ自分のギターを買おうと思った時に
すぐJ-45に決めた。理由は上記のみ。
市内で一番品数の多い店に足を運び、ヘタクソなりに試し弾き。

たまらんかった。鳥肌が立った。

ジャッ

だけでもう満足。たまたま入荷していたB級品。
ちょい傷ってやつが半額だったので購入。今でも良い買い物だと思ってる。
それが右のJ-45。「相棒」って感じかな。
こいつとは今年で10年の付き合い。
21歳の誕生日のちょっと前に自分に宛てた誕生日プレゼントだった。

今までこのブログの中に出てくる旅は全てこいつと一緒だった。

ガシガシ、ぶん殴るように弾きまくった「相棒」はすぐに弾き傷だらけ。

現在では見事、木を突き破り、貫通。穴が開いてしまいました・・・
楽器屋さんには「早く直しなよ」って言われてますが直しません。
傷が俺と「相棒」の10年の証だから。


今でもどこかに行くときはこいつ。
ライブでは時々こいつw

なんだかんだで思い出いっぱいの「相棒」と一緒に、
毎週ラジオの中継に行ってます。


これからもこいつと色んな所で歌うぜぃ。
posted by 上嶋 潤。 at 18:38| Comment(0) | TrackBack(0) | モノ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月15日

お久しぶりの更新です。

もう多分、こんなブログの存在なんて忘れちゃっていると思いますが…

そういう時に戻ってくるのが結構、嬉しかったりしませんか?


実は、今日、書こうって思ったのには訳があります。


このブログでも書きましたが
北海道帯広で出会った方から
つい先ほど、電話がありました。

「ゴールデンウィークにさ、浜松祭り行くんだよ
 だからさ、会えないかなと思ってね。」

ってさ。

いやー正直びっくり。
まず電話にびっくり。もう2年ぐらい連絡とってないからね。
そして浜松祭りって言葉にびっくり。
何か嬉しいじゃん。他県の人が浜松祭り知ってると。


あ、ここで補足。
浜松祭りっていうのは子供の誕生を祝うお祭りで
昼間は大きな凧を上げ、夜は御殿屋台の引き回しをし
子供が生まれた家にお邪魔して練りをする、
っつー感じなんだけどね。


で、その合間に会えないかって話なんだけど。

実は3日間、俺はその浜松祭りの中継をしなきゃいけなくて。
夜は打ち合わせも含めて11時ぐらいまでかかっちゃう。

でもさ、せっかくなんだから会いたいじゃん。

っつーわけで俺の返事は

「夜中なら空いてるぜぃ」

3日間祭りが続く初日にそんな無理して大丈夫なのか?

なんて事は電話切ってから考えたけどさ・・・

良いんじゃないかな。大丈夫。
そんな事よりも会いたいじゃないか。

今、どうしてるか話が聞きたい。

頑張ってるパワーをもらいたい。


俺より1歳年上の大学生。


今年のゴールデンウィークは呑むぞ!!
posted by 上嶋 潤。 at 19:48| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月20日

人から物へ。

人との出会いについてずっと書いてきましたが
ここらで約3ヶ月ぶりの復活と共に物との出会いについてちょっと書いてみようかなと思います。

きっと改めて物に対して出会いを感謝することって少ないと思うので。

さて、物シリーズ第一弾は今まで書いてきた「旅」の相棒、「車」について書きますか。
四国・九州を弟と二人で旅をした西日本編、北海道を一人で旅した東日本編、どちらも同じ車。
ホンダのアクティと言うワンボックスの軽自動車。
農道とか田舎道が似合う感じ。

そいつに乗って旅してたわけですがそのアクティと出会ったのは深夜でしたね。

友人と深夜までやっている雑貨屋さんに行ったんですよ。
それも特に用事があったわけじゃなく若さゆえの時間つぶし。

ま、用事があるわけじゃないから雑貨屋も早々に出てきたわけですがその隣にあったのが中古車屋さん。
僕も友人も車を見てあーだこーだ言うのが好きだったので中古車を見ながら二人でウロウロしてました。
そんな二人が共通して気になったのがこのホンダのアクティ。
なぜ若者二人がこの車に惹かれたのかは今となってはわかりませんが・・・

その時に乗っていた車に不満があったわけでもなく、車の買い替えを考えていたわけでもない僕でしたがその姿が気になって気になって仕方なくて・・・


次の日の昼間にその中古車屋さんに行ってました。

中古車屋さんから帰る頃にはナビやらオーディオのカタログをいっぱいもらい、その足で友人宅へ。


「馬鹿だな〜」ってなノリでそのまま購入を決意。

なんでそんなノリで決意したのかは今となってはわかりませんが・・・


とにもかくにも偶然の出会いが運命になり一生の思い出に残る一台になったわけです。




さてこの車、特に問題も無く順調に走っていたのですが・・・

ある日、車に乗ろうとした時、車内の異変に気がつき・・・

よく見るとナビがもぎ取られていて運転席側の鍵穴がこじ開けられた後が・・・


そうなんです。車上荒らしにあったんです。
盗もうと思ってもぎ取られたナビは結局盗まれずに無残に取り外された状態のまま車内に放置され盗まれたのはCD約100枚と機材。
ギター本体を置いてなかったのが唯一の救いでした。

問題なく走る車だったんだけど車上荒らしの後はどうも乗り続ける気持ちになれず手放しことにしました。


愛車って言葉があるけど僕にとっての愛車はアクティで間違いないでしょうね。


たくさんの苦楽を共にした相棒。
またいつかアクティで旅をするのが僕の夢です。



それでは最後に一曲聴いてください。
♪けっぱこぶる〜す by上嶋潤。♪


あ、けっぱこって言葉わかります?
軽のワンボックスの事を僕らはけっぱこと呼んでたんだけど・・・
一般的じゃないのかな・・・
posted by 上嶋 潤。 at 02:09| Comment(3) | TrackBack(0) | モノ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月31日

最北の地で。

さて。北海道編もままならないまま、違うテーマに行ってしまったので
もう一度舞台を北海道に戻します。

と言っても北海道での出会いはもうそんなにないのですが・・・

色々な人に出会い、ここでは書けないような事もありました(笑)
そんな中で最北の地、宗谷岬に行った時の事。

実はここで会う人とは前からインターネットを通じて知り合いでした。
だから出会いってほどじゃないんだけど。
ま、良いよね?

宗谷岬に夜、着いた僕はとりあえず駐車場で寝て次の日のお昼に
その人と会いました。
まぁ仮にユキエさんとしておきましょう。
お子さんとお友達を連れて会いに来てくれました。

宗谷岬のラーメン屋でラーメンをごちそうになり、
公園にてちょっと歌を披露。子供も喜んでくれて楽しい時間でした。
それから稚内をざっと観光。

そこでひとまずお別れ。

僕は一人でユキエさんに教えてもらった温泉と夕日がきれいに見える場所に行きのんびりと夜を待ちました。

そして夜!

またしてもユキエさん達と合流。
今度はお子さんは抜きで3人で食事をすることに。

向かった先は稚内ドーム(って名前だと思ってたら北防波堤ドームって言うんだね)に行きそこでバーベキューをしました。
真夏の北海道でバーべキュー。もちろんビールと海鮮ですよ。

このドームはバーベキューセットがたくさん用意されていて好きなものを買って焼いて食べるという何とも素敵な場所に夏の間なるそうです。

そんなこんなでビールを飲み、
北海道の新鮮な海の幸を食べ、
話もはずみ、
楽しい時間を過ごすだけすごしました。

バーベキューも終わり、良い酔いの僕は駐車場にてミニミニライブ。
ウクレレ弾いてオリジナル曲を披露。
途中、警備の人に注意はされましたが・・・
それもまた思い出です。


楽しい夜も終わり、お二人と別れ、僕は車でそのまま就寝。
二人とはその後、会うこともなく・・・



一年後の夏、急に携帯にメールが。



「ドームでバーベキューやってるから早くこ〜い!」

だって。



「行く行く!!」



って行けるか!!

北海道には辛い思い出もあるけど楽しい思い出ばかりが蘇ります。
稚内もその一つ。

今でもドームでのバーベキューや宗谷岬で歌った事は忘れられません。



また行きたいなぁ・・・
posted by 上嶋 潤。 at 15:26| Comment(5) | TrackBack(0) | 北海道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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